みやい (星) 日記

福岡市内を主とした演奏等の記録

【オーダーメイド彼女】という漫画作品について - 感想と考察 & 同人誌即売会や自分なりの (特にアマチュア作品への) 向き合い方について等

数年前から主に

現実世界では大耳へ、電脳世界では通称ふぇれ荘ことfelesitas.cloudへどっぷりな自分ですが

まずは今現在最も仲良しなふぇれ荘メンバーであるきーのさんについて勝手に宣伝しておきます。

きーの*(@kinokirino)さん / Twitter

↓漫画「オーダーメイド彼女」第1話が試し読みできるページ

https://www.pixiv.net/member.php?id=29743925

↓「オーダーメイド彼女」漫画同人誌を匿名通販で購入できるページ

(pixivアカウントへの登録が必要です)

https://keynote.booth.pm/

近々電子書籍版も実装されるとのこと。

これでいつでもオダカノが読める!楽しみです

 

11/2 追記…3巻/03 の電子版が公開されたようです

【電子版】オーダーメイド彼女 3巻 - きーのーと。[keynote.] - BOOTH

(既刊の1-2巻も近々アップされるはず!)

 

はい

というわけで今回の記事内容です

受発信者双方に求められるナニカ

何かしら作品なり商品なりを発表した作者はプロアマ問わず 買い手/受け手から試されることとなり、言わば他者からの批評酷評をも引き受けるような ある種の覚悟が必要となるわけですが

「会場へ足を運ぶ」「買って応援!」以外に作り手さんを応援する手段となると ファンレターを出すか、はたまたこうしてネット上で好意的な声を上げることしか(ほぼ)ないわけで、なんというか この漫画のイチ読者たる自分もまた

(ファンとしての熱意があるならいっちょ見せてみろ と言われんばかりに)

試されているように感じます。

まるでお互いに創作的/言語的責任が内在しているかのような…

それは何もこの作品に限ったことではありませんが

 

「ご感想頂けると大変励みになります」という作者リクエストがあったようななかったような気もしますが  ともかく今回も頑張って、勇気を出して言語化/文章化を試みてみます。

記事冒頭で紹介した【オーダーメイド彼女】は自分が初めて手にした「オリジナル・1次創作の漫画同人誌」だったため、今回は これまでそういったモノへ全く触れて来なかったバンドマン的なやつ (みやい/星) の感想文となります。

(この漫画および作者と出会った経緯を綴った過去記事はこちら

かなり長文の記事後半に書いてますので、記事冒頭の目次から【きーのさんのご紹介】をクリックしてね)

( ↑ 記事中で併せてご紹介しているシロシビンズさんという方についても 今回の記事後半で少し触れてます)

 

それでは

感想

まずタイトルがいい。

ありそうでない、かつ分かりやすい。

発音した際の語感もいいと感じる。

自分はネーミングセンスがないのでほんと秀逸だと思う。

 

次いで表紙が、本としてどれも綺麗。

オンデマンド印刷というのかオフセット印刷なのかすら自分にはわかんないけど ツルツルしてて色鮮やか、しっかりした作り。

漫画やアニメには疎いけど女の子かわいい。

 

いつかどこかで読んだ名も忘れた漫画家さんの

「可愛い女の子が描けるだけで漫画描きとしてはすごい才能なんですよ!それだけで漫画描いていいんですよ!」

ということばが思い出される。

 

あと普段手にすることのないA4サイズの漫画なので、CDに対してのLP/レコードジャケット的な良さを感じた。普通の漫画単行本の倍くらいある。これが同人誌ならではの感じなのかしら、大きいのっていいなあと

 (本文1ページ目扉絵との対比がなされ、実物は特に綺麗だと感じた3巻の表紙。好きです)

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「ヒトとしての男性と人工物としての女性が出会う」

というモチーフは 浅学ながら 恐らくSFを中心に、これまでにも数十年に渡って色んな作品で描かれてきた内容なんだろうな と思う。

人間×人外の恋、と拡大すれば それこそ古代古来から脈々とありそうだし…

ややもすると使い古されている設定?かと思いきや (初見の同人誌という媒体だからなのかもしれないけど) 自分はかなりの新鮮さをもって読み進めることが出来た。

まだまだ開拓の余地や可能性がある分野なのかもしれない。

 

ストーリーに関しては

「ラブコメっぽい話」と解説文には書いてあるし ボーイミーツガールなほのぼの恋愛モノなのかな、と想像しページをめくり始めるも 読み進めていくとどうにも違うようだ??

まだ未読の方が当記事を読むことを考えるとどこまでネタバレしていいものか…いや記事タイトルで「考察」とまで書いちゃってる以上ここでは気にしますまい。ガンガンいこう

 

ぼくは勝手に略称オダカノと呼んでいるこの作品ですが これまでに 1-3巻が発行されており (10/23現在)、漫画自体の総ページ数は今のところ70ページに満たないくらい? あるものの これは半連載的な長編漫画と言っていいもののはずなので、まだまだ何かと判断材料が足りない感じは否めない

が 言い訳しちゃいけない、やれるだけやるぞ!

 

舞台は近未来。

少子化が進み人工受精のその先まで行き着いてしまった世界では (パートナーのいない) 成人へ性交渉のためのロボットが支給される

的な世界観の説明がまずあり。

すごい世界だ…いや却って現実味ありそう?

いずれこの世界もそうなるのかもしれない

まさにSFですわん

 

主人公・啓多(けいた)くんの冒頭モノローグでは【恋のお相手】と書いて「アンドロイド」とルビが振られている

が この僅か数コマ間の彼は 期待に胸いっぱい・これからバリバリ恋するぞ!というふうには決して見えず、のっけからその表情は暗い。

「世間一般がそういうものだから」と しぶしぶ自分もパートナーロボを注文しているように感じられる。

一旦漫画のページを閉じる

 

『今年成人した大学生、桐島啓多は

パートナーロボとして新しい

家族を迎える。

それは、自分の好みでフルカスタマイズ

可能な通称【オーダーメイド彼女】。』

(1巻である01の 裏表紙解説文より抜粋)

 

深読み大好きなぼくはまずここで言葉の咀嚼を始める。

『家族を迎える』

であれば、必ずしも恋する必要はないのではないか?

表紙を開く。第1話の前に 登場人物紹介と共に掲載してある解説文をもう一度読む

『自律思考機能を有する [THiNKROiD] (シンクロイド)

が実用化された世界でのラブコメ??っぽい話』

とあるので、たとえ恋したとて…もしその恋が終わった後の、パートナーロボ=シンクロイド=オーダーメイド彼女たちの行く末は?

 

『フルカスタマイズ可能な』『彼女DX』『彼女型ロボットXX号』であるなら 作中描かれてない女性用→男性型シンクロイドもあるはず、同性愛者のみならずLGBTな方々の要望にもバッチリ対応している世界なのかしらん??

とか考えはじめちゃって全っ然漫画を読む手が進まなかったですね、初回は読むのがもったいない感じがして ほんとチビチビじっくり読み進めましたが。

 

おもむろに

考察

と まだ物語開始間もないここでいきなり想像の飛躍としてぼくは

「自分の好みや要望に基づきオーダーメイドしたはずの啓多くんが、逆に彼女 (のちに1巻後半の第2話終盤で名前を獲得する) からカスタマイズされていくのではないか

「本当に『自分好みでフルカスタマイズ/オーダーメイド』が出来るのか?

「注文者の、自覚できていない潜在的な 未来予測される部分に合わせたシンクロイドがやって来るのでは

「彼女から様々を教えてもらい気付き学べるハッピーエンドルートと、ガッチガチな管理社会バットエンドルートと、双方愛に目覚めるトゥルーエンドルートとかがありそう

「そも彼女はアンドロイドと言いながらも実は人間なのではないか?

「いや待て、であるならば 啓多くんの変化や成長に伴って彼女は人間になっていくと考えるのが妥当

「この世界の人々が成人するための通過儀礼として『パートナー』ロボの存在があるなら、単に性交渉の相手とするだけじゃ弱いというか

(未成年時に性交渉を経験済なひとに成人時のパートナーがいない場合、なんかも想像しつつ)

「それだけのためなら、いくら技術進歩があったとて  あらゆるコストを鑑みるに数万~数億人単位で? そこまでしないだろうし

「むしろ性交渉どうこうは建前であって、そこは無くても良いに違いない (選択の自由があるはず)

「何故精通や初潮ではなく性交渉である必要があるのか

「どこまでの・どんなパートナーとしてのカタチが許容される世界なんだろう?

「この世界での家族の在り方って一体どんなものなんだろう…

「この舞台から10年とか経ってからの子どもたちはシンクロイドを自分の家族と 親だと思うんだろうか?

「今以上に『成人する』ってことが曖昧な世界なのかもしれない

などと考えた

 

「ご主人様」と自分を呼ぶ彼女へ

「一人の人間と同等の存在なのだから、君も自分の意志を尊重しろ」(大意)

と言う啓多。

「ご主人様のお役に立ちたくて…」と

【ドジっ子なのに嘘をつき】家庭的であることを装いやってきた彼女。

「僕の祖父はシンクロイドの開発者の一人」

「僕は君が来るのを楽しみにしていたんだよ」

と彼女の頭をポンする啓多【は一人暮らしをしているようだ】

 

啓多の家族はいないのか?

過去、自分の意志を尊重されなかった反動/反発として

或いは尊重された結果の一人暮らし?

単に実家からは遠方の大学へ通ってるだけなのかもしれないけど…

てかおじいちゃん絶対何か仕込んでるよね?ね??

まずこの時点で啓多くんの彼女に対する要望というかオーダー通ってないよね???

 

波乱の一日目を終え

「僕…これからどうなるんだろう…」

2話目となる二日目に入り 彼女と食事をしながら

「どうしてこんなにヒトみたいに作られてるんだろうな…その必要あったのかな」

と考えつぶやく啓多くん。

 

ほらほら、前述の深読みが活きてきそうな感じするでしょ

ほんとにただの深読みで全部的外れな可能性もありますが ゲフンゲフン

 

その後 各種舞台演出装置として…或いは様々の象徴として…? 登場しているであろう桜を2人でお花見に🌸

ヒントはありつつも 自ら自分の名前を考え、決め、それを名乗り宣言する彼女。

彼女と色々ありつつ温かい気持ちになり 一瞬 (絶対家族と何かあったでしょ!?な) 幼少期を思い出したふうな啓多くん。

んー

んんん〜〜??

何かと気になるぞ!

 

関係ないけど巻末おまけ漫画っぽいパートで制作の苦労がゆるーく綴られています

(作者自画像がイチイチかわいい)

・初の漫画制作→いきなり長編

・修羅場きつい

同人誌即売会へ初参加→テスト版的なの出す?

・2回目のイベント参加時に1-2巻同時発行?

いきなりそんなんやりゃそりゃしぬでしょ、それでいてこのクオリティってすごい…というのが素直な感想でした。

 

まだ自己紹介的な1巻ですからねウンウン

いいよいいよ好感触だよ〜

と思ってからのしわじわ→ゴリゴリくる2-3巻なのですよね。

 

どこまで紹介や感想書こうかしら

色んな意味で先が読めない…

はよ続き描いて!つづきはよ!(机バンバン

 

「肩に乗せられた手

 温かい

「私たち

 アンドロイドなのに

 

2巻となる02から

これまた魅力的な新キャラたち登場に伴い 啓多くんの家族との確執のようなものと、彼女の胸中に生まれた一抹の不安とが描かれる

 

「自分が誰かの

所有物だなんて

そんなこと

あっちゃいけないよ」

 

先月9月末に出来立てほやほやの新刊・03では

更なる新キャラの登場と 起承転結でいうところの転 (に当たる部分の中の更に「起」相当部分?)、序破急の破へと物語は突入する

 

ここでまた自分は 

「生存/離別/死別や同居しているかどうか等を問わず

『自分には、自分を理解してくれる家族がいない』

と感じる若者達のためのシンクロイドたちなのではないか

などと想像してしまう。

 

「崩壊した家庭/家族を復活させる、或いはその

失われたに等しい不在の家族の存在やこころの穴を埋め

自身らが思い悩みながらも、主人(公)の抱える虚無を肩代わり軽減し もしかすると自己犠牲になるべくして彼女たちはやってきたのでは?

とも

 

(ちょっと自分で何書いてるのか意味分からなくなってきた 頭ぐるぐる)

(一樹くんきみ人間じゃないでしょ??とかも勝手に思ってる

 

『近未来SFヒューマンドラマ』を掲げるだけあっていいですねドラマチック!

いい感じにテーマやストーリーが重く感じられてくるのがいいです。

さぞかし生みの苦しみが…いやここではやめておこう

 

この雰囲気だとメイン2人だけの世界  をバッキバキにつき破っていく群像劇へなだれ込んでいきそうな気配があります

いいよいいよ群像劇すきだよ〜

詳細やつづきはぜひ

きみ自身の眼で確かめてくれ

 

作者ご本人は「毎回絵柄が安定しない」と言われておりましたが

書き込みっぷりや作画の丁寧さや表紙絵から何や、あらゆる面に於いて01と03は全然違う。

もう (褒め言葉として) 作者別人かよ、なレベル

…言いかえればそれは現在進行形で作者が圧倒的に成長し続けていることを意味するわけで、読み手としてはそういった書き手の変貌遍歴っぷりも楽しめる。

 

まっさらな部分から色んなことを

考え組み立てあれこれしながら

漫画を描き、印刷し、本にする

大変なことだと思います。

本当にすごいことです

 

作者しか知り得ないであろうまだ見ぬ新刊へ、物語のつづきや結末、また 作者自身のこれからの変化へ期待と思いが馳せられます。

 

まさか自分がこういった同人誌を楽しみ 、続きを心待ちにし しかも自分も漫画を描き作ろうとする側へ回ることになろうとは…思いもよりませんでした。

開眼したのは間違いなくオーダーメイド彼女を読んだからです

 

イベントについて

作者さんがイベント等へ参加していれば実際にお会いしてコミュニケートでき  作者自身を身近に感じ取ることができる (逆も然り)、読み手としての生の声…感想を直に届け・応援が直に届き、交流することができる。

 

現代ではネットも大切だし面白いけど、やっぱり対面コミュニケーションって大事よね、このライブ感がいいわね、などと

同人作家活動の良さや同人誌即売会の面白さを実感・体感できたのが先月末に開催され (一般参加してきた) 関西コミティア56でした。

(記事冒頭の目次より「今年の夏のまとめ」をクリックしてね) 

 

馴染みのなかった自分にとってはまさに異文化!という感じで 何も知らず初めて参加したものの、本当に面白く とっても楽しかったです。

コミケだけじゃない、大小様々な同人誌即売会が各地で四季折々に開催されているようです。

 

願わくは、色眼鏡や偏見を抜きにして

ぜひどうにか都合や理由を付けて、あなたもそういったイベントへ足を運んでみてください。

 

そして、もしそのイベントへ

サークル「きーのーと。」が参加していたなら あなたもこの作品の実物を手にとってじっくり見てみてください。

 

それが無理でも、

もしこの記事を読んで興味を持ってくれたり「これくらいの値段なら…」と ひとりの頑張る作り手さんを応援する気持ちがあなたに生まれたなら

ぜひ通販で「今の自分の全部を込めた、誰のものでもない、自分自身の作品」と作者が胸を張る、この漫画同人誌をお買い求めください。

 

きーの(ーと。) の次なる参加イベント、九州コミティア3が楽しみです。

www.q-comitia.com

(イベント公式webページ)

12/1の次回はぼくもサークル初参加するので頑張ります。

10/31 追記…場所決まりましたf:id:pj1204:20191031123813j:imagef:id:pj1204:20191031123827j:imagef:id:pj1204:20191031123846j:image

がんばります!

 

自分なりの読み方のようなモノについて 

ぼくが目標のひとつにしている、札幌在住の音楽家であり漫画家であるシロシビンズさんという方が「漫画はパッションだ」と以前ツイートされていたように記憶しているが、ぼくもそう思う。

(音楽と漫画の両立、という意味では「明日のすゝめ」

macomicpage.starfree.jp

を描く三田朗/ミタアキラこと三ちゃんも身近な目標ではあるけど)

 

そんな

きーのさんの「オーダーメイド彼女」、

三田せんせの「明日のすゝめ」や

シロシビンズさんの「タブラの娘」

seiga.nicovideo.jp

等をぼくが愛する理由は そこに込められているであろう謎の情熱を感じ、願わくは漫画内容のみならず その背景にある様々なもの…作者のバックボーンやそれを描く動機や理由となった感情経験などを読み取り、自分もそれを感じたい共有したいと思うからだ。

 

(ごく個人的な読み方として…

雑な言い回しにはなるが ぼく個人としては「ダイブする」みたいな言い方をしている。

深く共感しそれを描いた当時の作者の想いと一体化していく「つもりになる」みたいな読み取り方なわけですが、その気になれば多分漫画に限らず あらゆることに適用できるやり方ではあるんだろうな とも

…この受発信能力と正確性がもっと向上すれば多分SF的なテレパシーみたいになるんだろうねえ 共感覚強化? みたいなことも夢想しつ…

今の自分には幸か不幸か それが出来るモノと出来ないモノとがある、し  指向性/嗜好性? が感覚的に深い部分で自分と合う作者のモノ・かつ個人的な側面の強い記録物でないと深くダイブ/シンクロ的なことができないようにも感じている

ので これが今の自分の限界か・この方面もまだまだ訓練が必要だ…など思いつつ  おまえ何言ってんだって?ぼくもよく分からなくなってきました)

 

そんな ↑で言うと個人的に各氏の漫画はかなりダイブしがいのあるモノだし、ダイブに耐えうる妙な強度と深みがあり、彼らは揃いも揃ってレアキャラな(ネット)友人でもあるし、どうせダイブするなら少しでも良いモノに触れたいという思いもあるので

端的に「ぼくの好きな」「ピンとくる」漫画であると言える。

 

技術的な部分の上手さや下手さについて

例えばイチ読者としては正直「画力がない」と思わされる「けど」面白い漫画、というのは今の世にも溢れていて

(パッと思いついたのは「ワンパンマン」とか「左ききのエレン」とか→どちらも原作の方・両作品ともプロ漫画家さん作画のリメイク作品が連載/進行中。

あとはweb漫画/漫画アプリとしての縦読みが存分に活かされてるように感じる「タテの国」とか) 

 

例えば音楽についても

発生当時のパンクロックや 自分がその気になればすぐに体感できる今の福岡アンダーグラウンドシーン、大耳関係の色々に限らないけど…下手「でも」面白い・スゴいと感じさせられるモノがたくさんあると思ってる。

(そういう意味では ネットを通じて世界中の色んなひとの作品にリアルタイムで出会えることはとても素晴らしいことだと思う)

 

ここでは決してきーのさんや三ちゃんやシロシビンズさんの絵や漫画が下手だと言いたいわけではなく

彼らに倣って絵や漫画を描き始めた身としては、彼らはかなり上手いと感じるし

(自分の戦友!と勝手に思ってるのでリスペクトを込めながらこっそりと) いざ彼らの絵を模写しようとしても、どうにもアントレースな部分が多い→真似できない強烈な個性がある、と思ってるし  とにかくぼくにとってはとても魅力があり惹かれるのです。

 

ここで強調したいのは

【例えばアマチュアだから/下手だから といって見る目や興味を失い・食わず嫌いで見向きもしないのは・取りこぼすモノがたくさんあってもったいないよ】

ということです。

 

きみだけの原石を発掘し応援することで磨いていこう!(?)

ひいてはそれが芸術文化発展の礎になります、いやほんとに。

 

話が飛びまくりますが

今年の夏のオカルト倶楽部の時だったかな、花田さんやかっとさんが「今の若いミュージシャンは本当に演奏が上手い。私達が若かった頃には考えられない」みたいに言われてた記憶があり、それ以外の事々についても

★ひとえにインターネットが広く普及した

→以前は知ることのできなかったような古今東西の蓄積された情報へ気軽かつ手軽にアクセスできるようになった

→練習法やプレイ動画等が広く開示されている

→そうでなくても携帯端末やパソコンで気になることは即時調べることができる、という現状がそうさせたのかな?と感じていて

となれば

あとは本当に (練習や制作や発表を) やるかやらないかだけだ、という気がしている。

 

敬愛する漫画描きである彼らは現に

「これまでやってきた」「やってる」

「これからもやっていこうとしている」

それだけで充分すごいことだとぼくは感じる。

やろうやろうと思いながら何もやらない  或いはやれないひと、やってたのにもうやめちゃったひとたちがたくさんいる。

 

話を戻すと

批評以前の「〇〇が下手だ」という感想はありふれているけど、下手であることは表現をやる側の言い訳にも それを受け取る側が文句を言う理由にもならないとぼくは思っていて、というのも

・理由は色々だろうけど作り手はみんな「作品を作らなきゃ

(それこそ『ネットを通じて・前世紀よりは手軽に』)

世に出さなきゃやってらんない」んだろう

→下手なのは本人が一番分かってるはずなのでそこじゃない感ある

→下手だから…って言ってるだけじゃ時は過ぎゆくばかり

→下手だろうが何だろうが 恥をかきながらでもバカにされながらも(それにめげずに)やるしかない

→やる側の言い訳にはならない

(「でもやるんでしょ?やらざるを得ない必然性があるんだよね?」という期待やワクワク感を込めて ぼくらは走り出した作り手たちへ愛を込めた応援の気持ちを様々な形でベットする)

 

・上手なモノを消費したいだけなら それこそプロや一流や世界的偉人たちの作品に触れればいい、現代日本はこんなにも無料で高品質なコンテンツに溢れてる

→好き好んでアマチュア/同人作家叩きしたいの?イヤなら見なきゃいい

(もしかして暇なの?ストレス発散したいのかな?作り手はサンドバッグじゃないよ?)

→創作物という諸々の結晶を受け取り享受する側としてわざわざ「それ」をコメントやリプライや質問箱や匿名のなにがしか等で指摘する理由にはならない、と個人的には考えている

 

そりゃ技術があって上手いに越したことはないけど、前述したとおり 作者自身がそれを自覚している・かつ努力してるなら敢えて言わんでも…と思う。

(それでも尚攻撃の手を緩めてくれない輩などはミュートなりブロックなり絶交するなりして距離を置き 一切気にしちゃいけない、そんなことばは忘れましょう、とも)

(スゴいひとほど「自分なんてまだまだですよ」って言ってる気もするし)

 

もっと言うなら

個人的に上手下手は見てないし気にならない。

見るべきところはそこじゃない。

そんなの全然関係ない。

広い意味で面白ければ何だっていい。

 

受け手としては

(本気の) 趣味でやってるひとが (世のプロなんかに比べれば当然) 下手だの荒い/粗いだの何だのっていうことは大前提みたいなものだと思ってるし、

文章にしてこうした感想を残そう・あわよくば作者さん自身や まだそれを知らない潜在的な未来の読者や受取手さんに向けて、自分のプッシュしたい溢れ出る思いを伝えようとするなら  その初期衝動の塊みたいな前提から、そこから出発しなきゃいけない。

 

そこで「下手だ」と決めつけ 足を 受け取り読み取ることを止めずに、自分がそこから何を どんな良さをどれだけ見出し汲み取っていけるのか、に応援の声は掛(懸)ってると思う。

それが冷静である必要はない。

「これ良いんだよ!あなたにも知ってほしい!」と如何に熱意や熱量を持ってアツく語れるかだ。 

なんなら

「〇〇よかった」「〇〇好き」のひと言をSNSでつぶやくだけでもいいんです。

作る側としては (もし自分が実際に見聞きできたなら) その一言でどれほど救われるか。やってよかった・作ってよかったと心底思える。また頑張ろうもっと作ろうと思う。

受け取る側としては もしかしたらあなたのそのつぶやきから いつかぼくや他のひとも「それ」に興味を持って、好きになれる作品や新たな感動や笑いや涙と出会えるかもしれない。

 

ともかくも

「アマチュア/プロだから」「下手/上手だから」「趣味/仕事だから」

そういったラベルを取っ払ったところに何が残るのか、そこに何が込められているのかをぼくは見たいと思う。

 

その意味では (鶏卵だけど) 作品やリアル/ネット上での交流なんかを通じて、ぼくはぼくの好きな人々がどんなひとなのかをより知りたいと思うし

逆にその人となりを既に知っていて 自分が興味深く感じる人たちの作品だからこそ、それを見たい知りたい感じたいとも思ってる

いずれにせよその作者や作品が好きなわけです。

 

他のひとのことはよく知らないし分からないけど

ネットの海を漂いながらたまたま出会ってからの自分が知る限り

きーのさんは日々足掻きもがいている・努力している・恐らく明確な目標があり 現実的に自分に合う具体的な訓練法を模索し、それを実際に実践し継続しようとしている

(ようにみえる)

 

(自他を問わず) 年齢についても同様に何かの理由や言い訳にしたくはないけど、何より かのひとは随分と若い。

 

(何事かをやり始めるのに遅すぎるということはないし、きつかったらいつでもやめていい、またやりたくなった時にやりたいことをやればいい、という意味でも 自他共に年齢は関係ないと思ってます)

 

練習嫌いであっても5年10年続けてればイヤでもやり慣れ 下手なりにやり方が分かってくる、というのはぼくが身をもって体感してきたことなので 誤解を恐れずに言えば

やってさえいれば、続けてれば、技術は後からそれなりに付いてくるし ブレイクスルーやパラダイムシフトする瞬間が何度でもやってくるものだと信じてる。

だから、心配しないでほしい。

あなたの前途は明るい。

あなたはきっと、もっともっと上手くなる。

ぼくはこれまで下手なり自分なりにそれを経験した。

何者でもない自分が書いても全然説得力ないかもしれないけど

(「今の下手な自分」を責めることなく冷静に見つめないと技術的な不足部分が見えて来ず 何が足りないのか分からない状態に陥るとも思うけど…バランスが難しいですね)

 

それを抜きにしても「これからもずっとやり続けていくぞ!」という強い意志をことばとして何度も見聞きし

(同じ歳の頃のxx年前の自分と違って)

この短期間で着実に結果を出しつつ成果の出る努力を続けていることが窺い知れ、やることをちゃんとやっている

or 今できなくても出来るようになるために (前述した「やるかやらないかだけ」のやるべきことを) やろうとしているため

その伸びしろや今後の成長可能性がきーのさんには間違いなくある、ということをぼくは確信している。

 

個人的に感じ思うそんな作者云々を抜きにして、作品単体でみても

ぼくはイチ受け手としてあなたの絵や漫画が好きでこれからも見たい・読みたいと強く思うし とても楽しみ心待ちにしているので、これからもぜひ描き続けていってほしい。

ぼくはオーダーメイド彼女の行く末を見届けたい

 

あなたの作品や走る背中を、その姿を見て自分も毎日頑張らなきゃって思える。勇気や覚悟や元気≒創作エネルギーみたいなモノを存分にお裾分けシェアしてもらえる。

 

勿論それだけじゃないけど

そういったものがあったから自分はこれまで走ってこれた・精神的屍になっても励まされ支えられ ようやくこの日常生活まで戻って来れたと思っているので、リアルタイムでその時々に…特に自分が大好きなひと(たち)の…色んな作品を通じ触れ感じることのできる実感こそがぼくの生きる希望だし救いだと言ってもいい。

本当に感謝してる。

 

言葉に出来なかった思いもまだまだたくさんあるし、かなり迷走した長文になっちゃったけど そろそろ筆を置くことにします。

今の自分の声がささやかなファンレターとして届くことを願いつつ

 

それではまた。