音楽的言語について
どうも、みやいです。
星と名乗っている某SNSで発見した The 言語 Advent Calendar 2018 - Adventar の空き日を埋めるべくこの記事を書いています。
(今現在は12/27→この記事は12/10へ充ててます)
「蒔いた芽は刈り取らねばならぬ🌱」
ですね、宣言してしまった以上は 自分も何か言語についての文章を書かなければ…
うわー ブログ書くの約4年ぶりなのか!
もう使い方や機能を忘れちゃったし、まとまった文章を書くのは苦手なのですが なんとかやっつけてみます。
…
■ 音楽的言語とは (私感)
よく文学的ないし詩的な文章表現を指して「音楽的な文章」などと言いますが、そこは読み手がどう受け取るか?にかかってくるためここでは割愛 (申し訳ない)。
例えば所謂クラシック音楽やインストゥルメンタルのジャズ、ゲーム音楽や映画音楽や 各種EDMだのテクノだのトランスだのヒーリング/ミニマルミュージックだのうんたらかんたら (細分化されすぎた音楽ジャンル名) 等を鑑みるに
そも言語がなくとも音楽は成立するわけなので、うーん いきなり困った、かくなる上は好き勝手に自論/持論を展開する他ない!掲げたタイトルをいきなり破り棄てるような当記事、先が思いやられますね!
筆者は
・母国語たる日本語以外の言語を解さない
・言語(学)に明るくもない
・趣味で細々と演奏や作詞曲を続けてきたアマチュアバンドマン
ですので、ここは
「個人的に思う (偏った) 音楽的表現/創作における言語」
について考えていくことにします。
(言語があろうとなかろうと音楽に強く心動かされることは多々あり「そこに優劣がある」という意図は本文にありません。)
■ 音楽における言語とは
自分がふと 言語/ことばについて考える時、いつも (タイムリーにもこないだ映画が公開されてたらしい?) 井筒俊彦著の名著「意識と本質」https://www.amazon.co.jp/dp/4003318528/ref=cm_sw_r_sms_awdb_c_HS8iCbDK5TKHZ 序盤の「『花がある』という一文について」や「デカルト著・嘔吐」を例に挙げた一連の文章のこと…或いは興味深かった外国の本?「歌うネアンデルタール人」などを思い出すわけですが、音楽における言語の持つ意味を考える場合は
①「マディソン郡の橋・最終章」だったかな、とある女性店員さんの描写で
『音楽的な腕の動きをしてる、と思った』
みたいな文章や
老チェリスト「きみは『愛してる』をチェロの音だけで表現できるかい?」
みたいな台詞がいつも思い起こされます。
①について考えるなら
「音楽(的なモノ)を表現するのに言葉は必要ない」
と言えますし、②について考えるなら
「そりゃ無理だ、可能だとしてもそれはとてつもなく難しい…その場でアカペラで『♪愛してる〜』って歌ったり 尾崎豊『I LOVE YOU』の歌い出しでも聴かせるとか それかシンプルに文字や肉声/音声の言葉として『好きだ』って伝える方が断然手取り早いよね…」
となり
①→何に音楽を感じ見出すかは人それぞれだし、時と場合による
②→少なくとも演奏だけで明確に感情を伝えることは困難なため、(組)曲名や副題・曲中の言語表現や曲外での注釈や解説等が必要となるケースが多い
のではないか、と考えます。
音楽における音声表現を突き詰めるなら (ボーカルではなく) ボイスグループを率いたボイス名手たるメレディス・モンク - Wikipedia
Meredith Monk-Gotham Lullaby live at Lensic Center - YouTube
或いはホーミー/ホーメイ等に代表されるが如く
「ほら、やっぱり音楽に歌詞なんて要らないじゃないか!音と声だけで充分だよ!」
となるわけですが、イチ表現/創作に関わる身としては
「いやいや、やっぱ言葉や歌ありの方が伝えやすいって!」
と痛感させられます。
(作り手として音楽の抽象性を高めたい際には、逆に イメージが限定的な足枷となり兼ねない「言語」を排することもモチロンあるかと思います、あしからず)
ですので「音楽における言語とは」を考える場合、
ソフトに言えば「これが私の思うこと!ほら、これで伝えたいこと みんな解りやすいでしょ!?」となりますし、
ハードに言うなら「言語がない=明確な表現が避けられている→『なにこれBGM?』or 作り手や演者の怠慢 (解りにくい)」とも言えなくもないのかも?うーん、ちょっと頭がこんがらがってきますね。。
(これらが拗れた?例として…
中には自分たちは宇宙人・コバイア星人であるとして バンドの創作言語コバイア語 - Wikipediaで歌うツワモノたちもいたりする
→「我々の歌詞が知りたければコバイア語を学ぶのだ!!!」という強気なスタンス?
(シガーロスなんかも一部 創作言語で歌うバンドでしたね
https://www.google.co.jp/amp/s/rockinon.com/news/detail/168039.amp:ホープランド語
(自称宇宙人のサン=ラもまた宇宙語を使っていたり等…
うーん
もうちょっと「音楽における言語」の範囲を狭めて考えてみます。
■ 音楽をやる/作る側としての言語
となりますと、これは少し意味合いが変わってきます。
今、僕は さる2018年12月12日に素晴らしい福岡公演を行ったキング・クリムゾン - Wikipedia というバンドの、ライブ会場たる福岡サンパレスの物販コーナーで 嬉々として購入した「ジ・エレメンツ・オブ・キング・クリムゾン」disc2を繰り返し何度も聴きながらこの文章をぽちぽちしてるわけですが、 例えばこの 来年結成50周年を迎える世界的バンドのリーダーかつギタリストで70歳を超えられているロバート・フリップさんご本人 (若しくはマネージャーさんとか) から恐れ多くもメールが来て
「Hi, satoshi!
トニー・レヴィンがクリムゾンを抜けることになってしまったから、よかったら来年から きみにこのバンドでベースを弾いてほしい」
と誘われたとしたら?
僕は大きな絶望感に押しつぶされながら
「oh, no…sorry...」
としか返せないでしょう。
何故なら (もし今の自分に世界的ミュージシャンレベルの多大な演奏技術があったとしても) 僕は 彼らの主要言語たる英語が話せないからです。
バンドの今後の展開や運営/経営的な部分、プライベートな内容のことはもとより 何より演奏/作曲やリハーサル/ライブの現場でのやり取り等を円滑に進めることが出来ない、これはとても致命的な問題です。
創作や表現行為へ至る以前に、まずは音楽についての濃密なコミュニケーションやディスカッションがメンバー間で必要となることは目に見えています。
勿論、身ぶり手ぶりで 時には実際に楽器で音を鳴らしながら「こんな感じ?」と説明をし合うことは可能なわけですが、それには前述前段の②のように かなり限界がある。
相手の意見が分からない/自分がそれについてどう考えるかを伝えられない、これは殊に メンバー間での深いコミュニケーションが重要となってくる長期的な集団表現やグループ創作をする場合、かなりヤバいです。
往々にして まず以て普通の会話じゃないですからね、音楽的な会話って。
(大抵は感情的/観念的/抽象or具象的/哲学or神学的/形而上or下的な言葉が飛び交いまくる→現場ではかなりのコミュニケーション能力が問われる)
ですので
たとえ僕専属の通訳さんがいたとしても、きっと相当に音楽的な会話は苦労すると思います。
想像するだけでしかぶりそう。イカン。ダメ。最悪。無理。フリップ先生ごめんね…
…
日本が世界に誇れる前衛アーティスト/パフォーマー/ミュージシャンであるオノ・ヨーコ - Wikipediaさんがかつて
「日本のアーティストが世界で通用しない/売れない理由?
うーん…少なくとも英語が話せない or 英語で歌えない or 歌わないから、じゃないかしら。
と答えていたように記憶していますが、
いちローカルな福岡インディー/アングラシーンでの ニッチなバンドやグループの数々に属してきた自身の過去…メンバーらとの何度も何時間にも及ぶディープな話し合い…を鑑みるに、やはり表現物や作品/パフォーマンス以前に
「コミュニケーション、大事」
「観客や視聴者や購入者は元より 音楽関係者らとコミュニケートできなきゃ (例えソロパフォーマーいえども) 詰む、アウト、終わり、了」
「いやあ ことばってほんと難しいですね!!」
などと思った次第。。
ですので、
今後一切誰とも関わりを持とうとせず 単身ネット配信していくorソロで路上弾き語りしていくもんねー!というような方以外は
「音楽的な表現や創作していく上で、関係各位とコミュニケートするための【音楽的言語】が必要となってくる」
場合が多いと推測されます。
(半年後みやい追記「ネット配信も路上弾き語りもやったけど どっちもバリバリ音楽的言語やコミュニケーション必要よ」半年前みやい「ンェェ… )
例えば、演奏会場でPA担当のスタッフさんから
「ステージの返しの音どうですか?」
と問われた際に
(えっ、か かか返しって何…?)
「え えっと…」
(シーン)
「チッ(舌打ち) そこの転がし、モニターですよ モニターの音量とバランス!」
「こ、こここ転がし…??」
「そこの垂れ下がってるシールドの、向かって右側のやつです」
「し シールド???」
みたいになっちゃうと (人によっては) PAの方を苛つかせる原因になる、自身のリハーサル時間は刻々と短くなっていく、嗚呼これが初舞台…と半ベソな悲しい過去現在未来を迎えることにもなり兼ねない。あゝ恐ろしや…げに恐ろしきはライブ演奏…
・ひとえに業界/専門用語的な言葉が多い
→ある程度理解しておくと意思疎通がスムーズに図れ、自分が関係する場面での進行も滞らずに済む
という部分は多分にあると思うので、(そういったライブハウスや演奏スペースのあるお店等で使われるような) 特有の単語や表現も 大きく捉えれば「音楽的言語」に含まれそうな気がしますね。
まあ
安直に考えるなら、クラシック音楽の楽譜/譜面 🎼 に書かれてあるようなモノ (言葉ならダテンポとかリタルダントとか 記号ならあんなのやこんなのや) が 音楽的言語として想起されやすいのかなあ、とも思いますが。どうなんでしょうねえ…
ここで筆者の高校吹奏楽部時代の楽譜への書き込みを見てみましょう。
「青の心で」
うん?
「↓砂漠の音」
うん、もはや今となっては中二病すぎて意味わかんないね。
どんな砂漠だよ!!!🏜
どうやら当時は大変に想像力豊かだったらしい
かと思えばマイケル・ジャクソンが映画「THIS IS IT」の序盤、リハーサル風景の中でキーボード/シンセサイザー奏者に対し
「ダメだよ…もっと…月光が沁みわたるような音で…」
と自身の要望を伝えるも キーボディストは言葉の意味を理解できずポカンとし「解せぬ…」という顔をしてる、みたいなシーンがあったりもするし。うーん
目に見えない音楽を表現するのにはイメージの力が重要
→それをどう言語の枠に落とし込み表現し伝えるか
→指示や要望を発する側の理想イメージの言葉を(共演者やスタッフに) どう受け取ってもらえるかは分からない
→聴くひと観るひとともなれば尚更のこと
となると
作る側/やる側としても
「やっぱ言葉って大事だよな!!!」
というアン直 (エフェクターやペダル類を使わずアンプへ直接エレキギター等を接続→つまりシールドを直挿するようなこと) な結論にしか至らないため、何か もっとこう、なんか ここから広げたいところ。
■ いちリスナーとしての音楽的言語
となりますと、最近の自分などは 何が歌われているかサッパリ分からない英語詞のキング・クリムゾンの楽曲の数々に熱を上げているわけですが
これは言うなれば「ある種の音楽的言語を (理解出来ないが故に) 無視している」聴き方である、とも言えます。歌モノ洋楽好きには意外に多いんじゃないかなー
これがどういうことかと言いますと、単純に
・歌のメロディーが好き
・歌声が好き
・なんか知らんけどしゅき
・よう分からんが かっこいい/きれいな歌やねー
みたいなパターンばっかりなわけで、見ようによっては「純粋に音楽性だけで音楽を視聴している→言語に縛られていない」とも取れる のかもしれない(?)
これは
・音楽的言語を理解していない為、本来受け取れるはずの(言語的/音楽的)情報量が激減
→損をしている
・本当は歌詞内容が好みに合わず「二度と聴きたくない!」になっていたかもしれないところを、単に音声としてインプットすることにより 聞き手としての個人的かつ言語的なフィルター、自身の色眼鏡/偏見/条件反射等を一切介さずに楽しめている
→得をしている
と どちらにも取れるわけですね。
だから何だと言われればそれまでだけど
…
他にも「詩人によるポエトリーリーディングやヒップホップにおけるラップについて」や「読経や賛美歌にみる音楽的言語」を絡めながら〜とか
「もっと紹介用YouTube動画をたくさん貼って…」とか
色々書きたい内容を考えていたはずなのですが、ちょっと思い出せないので 今回はこの辺で一旦筆を置くことにします。
それではまた!
p.s. つづき書きました!