ライブ終えました報告 & 映画【天気の子】を観てきました感想
8/6 追記…
先月7/26のBlackBugfilmライブ無事終了しました。
ご来場され演奏を見届けていただき 僕らのイベントフードも食べてくださった皆さま、本当にありがとうございました!
(かなり時間が経ってから バンドリーダーが決めた屋号が "恋煩い/恋患い" のもじりである、ということに気付きました)
(完売御礼ブラバグカレー!)
(売り子のみやいです)
御礼が遅くなってしまい大変申し訳ありません!
で
以下、若干のネタバレがあるようなないような とりとめのない「天気の子」の感想です。
(マストドンでのトゥートを転載)
(8/6追記… 大幅加筆修正しました)
・僕は新海誠監督作品を「言の葉の庭→君の名は。→天気の子」しか観てません
・諸手を挙げて絶賛できない謎のモヤモヤがある それが何なのかをずっと考えてる
・ボーイミーツガールかつ「自分は世界ではなく君を選ぶ」という意味では王道というか エヴァ破ラストを連想した
・「君の名は。」の瀧くん三葉ちゃんがスターシステムでカメオ出演?してるのはおーってなった
・実名バンバンで街並みや店名や商品名やが描かれてるのもおお?ってなった(1番ツボったのは月刊ムー
・再会のカタルシスとしては弱いものがあり、そこに関しては「君の名は。」に軍配が上がるように感じた
・レインコートの三原色だけじゃないけど 凪くんの存在は大きいなあと
2人と3人じゃ全然違う
・良くも悪くも昭和〜平成な家出少年展開を見せる序盤 (に限らずだけど 上手すぎる感じで事が運ばれていくのにまたモヤン
・相当練られカットされてるはずなんだけど、自分としては冗長的に感じた。
テンポが悪いわけではないけど もしかしたらもっとコンパクトに上映時間短く出来るんじゃないか?
これ贄としての代償というか物語の落とし所どうするの?とか考えながらハラハラ観てた
・民俗学やオカルトなテーマを普通にぶっ込んでくるわけだけど、宮崎駿なんかの描き方に比べると 自分としてはどうにも納得できないモヤる部分が残ってて。
この監督がどこまで調べて勉強して確信や必然性を持って描いてるのかは分からないけど「このひと割と感覚的にやってるんじゃないか?」という気が (君の名は。ともども) しました。
これに限らず、諸々が相当に考えられてはいるんだろうけど「この監督さんはかなり感覚的なひとなんだろうな」という気がします
・調べた感じでは最後の台詞は
"帆高「陽菜さん、僕たちは、大丈夫だ」"
とあった。うろ覚えだけど「きっと大丈夫だ」って言ったように思ってたけど違ったのかな
うまく言えない自分の感覚を無理くり言語化するなら「何がどう大丈夫かが分からない→台詞として弱い」みたいな感じ?になる
(何に対して「大丈夫」って言ってるかはもちろん解るんだけどね
・当然っちゃ当然なんだけど
スタッフロールで制作に関わったひとや会社の数を眺めてるとビビる!
これだけの人と時間とお金をかけてこのクオリティの作品つくったのよねえ…→そりゃ雨粒1つひとつまで綺麗なわけだわんすごい→独力じゃ無理→というところで 結局いつも
「自分は何をどう作る?自分ならどう作った?」という問いに帰結する
まだ色々考えてたはずなんだけど思い出せない
思い出したら随時書くです
つづき
・もしかしたら「監督がなんとなくフワッと扱い描いているかもしれないオカルトや神秘方面の事々」なのかも と感じたわけだけど、なんにせよそれがこれだけ数多くのひとに幅広く好意的に受け止められている?観客側もなんとなく受け入れてる?ということ自体はとても喜ばしいことだと個人的には思ってて。
・関係ないけどエンドロールで小栗旬や野沢雅子の名を見、思わず声上げて笑いそうになった
・好きなひとにはほんと申し訳ないんですが、超個人的にはRADWIMPSの音楽や歌声がそこまで好きではなくてですね…
悪くはない、でも自分にとっての劇中音楽や挿入歌や主題歌としてのベストではない
(僕にとってはBGMとしての劇的な効果があまり発揮されずノイズとして感じられてしまう→自分にとってはこれもやはり"弱い"?→ダメな意味での現実に引き戻されちゃう、興を削がれる?という感じがありました
「あ、監督このひとたちの音楽お好きなんですね アハイとってもお気に入りなんですね うん分かったから!!!」みたいになっちゃう
(その点「言の葉の庭」の大江千里作/秦基博歌のrainなんかは滅茶苦茶秀逸でピッタリだと感じたわけですが
・数日経ってみると劇中の台詞が微塵も自分の中に残っていないので
自分の物覚えが悪い→何度か観れば変わる?
or
台詞としても"弱い"と感じた→自分には響かなかった?
のかがイマイチ釈然としないところです
・退屈したわけではないけど自分にとっては長く感じられた、ということは最初の方に書いたわけだけど
もし自分の加齢がその原因とするなら「若いひとに向けての作品なのかな」という感じになる
何がどうとはうまく言えないんだけど、もしかしたら30代以降のひと?なんかは 結構頑張って堪えないとこの一本の映画を完走するのはなかなかきつく感じるんじゃないかな、とか思った
・映像美としては終始ものすごく綺麗だったし登場人物たちもとてもかわいいし魅力的、大スクリーンで観るだけの価値は充分あったと思う。
じゃあそれ以外のところでどうだったのか?それを抜きにして自分は何を感じたのか?ということをずっと考えてる
・想像するに 古代〜中世の、例えば天気ひとつでも変えようとする巫女さん・魔女さん・斎王みたいなひとたちなんかは何かにつけ (ほんと事あるごとに) 命懸けだったんじゃないかなーと思うので、
(ex. 味方「これから天気を変えれなかったらお前を殺すからな」
or 失敗した際の反動≒お願いをした精霊的なモノからの要求/対価交換的なコトで死んでしまう&死んでからも色々を背負うことになる
or 呪術合戦に負けると相手祈祷師からの攻撃で死ぬ、みたいな)
お天気をバンバン何度も独力で変えることが出来た上で「消える」というだけでは、やっぱりこう (その) 世界の仕組みとして弱く感じちゃうのよねえ…
死ぬわけではない=無限の孤独の苦しみに苛まされる?
いやでもヒナちゃんは雲の上 (異界or彼岸?) で気を失ってたふうだったのでウーン
観客やヒダカくんが見たままの無意識状態だったのか はたまた悪夢以上の凄まじい地獄のような苦しみに包まれていたのか?
【あの時のヒナちゃんの意識の中ではどうだったのか】
が重要な気がします。
そして肝心の「そこ」に関して何ひとつ描かれていないことに自分がモヤモヤしているんだな、ということに先ほど気付きました。
・監督?の
良く言えば「少年性やその純粋さ」
悪く言えば「ガキくささ」
が賛否の分水嶺になるのではないか、という気がしている
・それで言うと少年少女を取り巻く大人の世界が描かれている ようでいて存外描かれてない?のよねえ
・「彼岸と此岸を行ったり来たり傷付いたり成長したりしながら如何にその後の現実へ立ち向かっていくか」は様々な作品で描かれてきたわけだけど、天気の子に関してはどうしてもウーン?と感じてしまう
悪くはない、寧ろ良い、【でも…】がずっとどこかに在る
もしこの「観客にモヤッと何かを残らせること」が意図的な目的のひとつであるなら、その目論見は見事に果たされているわけですが それにしてもうーーん
どうなんだろう
終劇後の劇場内外で耳に入ってきた他観客の会話なんかでは「劇後感スッキリ最高!」みたいな印象を受けましたが
うーん…わからんもんです
・これだけ考えてはいるものの、じゃあ自分の人生を変えた作品だったか?というと残念ながらそうではなかったので
もし自分がもう一度観るならもっと時間を置いて 円盤や地上波放送で改めて観る方がよさそうな気がします
一旦筆を置くです
…
という感じで先ほどぽつぽつ書いたわけですが
決して色々が強ければいいというわけではない、とも感じるので 難しいところですね。
自分には何が響くのか/響いたのか、改めて自己を鑑み 自分は何を表現し自他へ響かせたいのか?という自問自答ばかりしています
昨夜(8/3) は「この世界の片隅に」がNHKで地上波初放映されていたので 5回めくらいを久しぶりに観ていたのですが、図らずも自分の中で「天気の子」との相対化が為されたように思います。
12/20公開予定の続編にも心から期待しています
…
関係ないけど先日の模写です
今回も『性別「モナリザ」の君へ。』からですね
ほんとむつかし
漫画描かなきゃ 録音しなきゃ
無理せずほどほど頑張ります
それではまた