続・音楽的言語について
どうも、みやい/星です。
前回同様 The 言語 Advent Calendar 2018 - Adventar のまだ埋まっていない未登録日を埋めるべくこの記事を書いています。
(時系列がバラバラで申し訳ないのですが、今現在は12/28→この記事は12/11に充てる予定です)
とっ散らかってまとまりのない前回記事はこちら!
(前述のカレンダー12/23に登録→のち12/10へ移動。前回を読んでなくても今回の記事を楽しめるよう努めます!!)
何故ゆえ過去日に遡ってまで苦手な文章作成に着手したかといいますと (自分なりに頑張って書き上げたものの) 前回記事が何かと消化不良で不完全燃焼だったから、ですね…
またとりとめのない長文になるかとは思いますが、お付き合い頂けますと幸いです。それでは早速いってみましょう!
■ 音楽的言語についての再考
(自分で掲げておきながら) つまり音楽的言語って何なのよ!と僕なりにイメージを膨らませた結果、これはもう「高いメッセージ性を付与されたことば」の一言に集約されるのではないか、と感じます。
話し言葉や書き言葉だとあまりに身の回りにありふれ、普通でありきたりすぎて、ややもすると陳腐になりかねないようなひと言が 旋律となり歌声として響いた時にものすごい発信力や求心力・共振力を発揮する。
これは「歌の力」みたいに言われがちだけど、そこは 形を変えれば「コトバのチカラ」になったり「文芸の力」になったりする、とも思うので 何というかカントいうか…
(これに関しては記事冒頭のカレンダー12/20のモレロさん記事「ことばについて」トダシモン — The 言語 Advent Calendar 2018 - Adventar 中盤あたりの「文芸はことばの魔法」部分をぜひご一読いただきたい)
曲のタイトルに限ってみても、例えば
Marvin Gaye - What's Going On - YouTube であったり
ボブ・ディランの「風に吹かれて」Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963) - YouTube だったり。
Love - John Lennon/Plastic Ono Band - YouTube でも
Imagine - John Lennon and The Plastic Ono Band (with the Flux Fiddlers) - YouTube でも
YouTube だの
坂本九「心の瞳」 (原曲・歌詞字幕付き) - YouTube やら
「上を向いて歩こう」Sukiyaki (Ue o Muite Arukou) - Kyu Sakamoto (English Translation and Lyrics) - YouTube やの
なんならモーツァルトの 俺の尻をなめろ - Wikipedia
Mozart - "Leck mich im Arsch" - Canon in B flat for 6 Voices, K. 231 / K. 382c - YouTube でも
何でもいいよ!(投げやり)
文字として読むなら
・カエルの歌が聞こえてくるよ
・海は広いな 大きいな
・咲いた咲いた チューリップの花が
等の童謡はフムン🤔? なわけで
「だから何だよ!!!」の世界ですね。
そのままと言えばそのままなので、誰もが歌の情景をイメージしやすい→これもまた例にもれず「音楽的言語としての力が存分に備わり発揮されている」とも言えるわけですが。
だんだん自分でも何が言いたかったのか分からなくなってきました…??
ここは気持ちを入れ替えて
次にいきましょ 次だ次!
■ カラオケについて考える
正に下手の横好きながら、僕は歌うことが大好きです。一時期に比べればカラオケ屋さんへ足を運ぶ機会がめっきり減ったものの、(願わくはフリータイム制で&ひとりで?心置きなく) 何時間でもたくさんの好きな曲を歌うことができる、というのはなかなかにいいものです。
(歌い慣れてたり普通に好きで歌うものを除くと)
実際に僕がカラオケで歌うもののパターンとして以下の3つがあります。
① 歌詞までは覚えていない but 歌のメロディーは(うろ)覚えている日本語詞の歌を歌う
② 意味は分からない but 何度も聴いておりメロディーや発音を(うろ)覚えている英語詞の歌を歌う
③ 弾き語りでライブする予定があり、練習が必要な日本語詞の自作曲 or カヴァーしたい英語詞の歌を何度もひたすら歌う
このうち今回の記事内容的に特に注目すべきなのは②ですね。
自分で書こうとしながら愕然としましたが、なんと僕は 前段で挙げた
【音楽的言語の持つ強力なメッセージ性】
を (ほぼ)理解しないまま
「好きな曲のバックトラックを流しながら・自分なりに精一杯歌い・耳慣れたその曲のレコーディングorライブ音源をこの場で再現することで・その曲の歌い手や演奏者らの録音収録時orライブ時の体感を疑似体験したい→好きなアーティストになりきりたい=単に気持ちよくなりたい」
という理由から(!) 母国語ではない、その歌詞の意味を解さぬ他言語で、純粋に声の出し方や響かせ方 等を真似し、歌っていた、というわけです。なんてこった
恐るべきは、自分では自覚できていない一方のその歌詞内容を 僕の歌う (カラオケ/カヴァー)曲の聞き手である他者が理解できる可能性がある、ということです。
僕には通じていない件の「音楽的メッセージ性」とやらが、僕のカラオケや弾き語りを聴くひとには (僕をまるっとスルーして) 伝わるかもしれないわけですね。なんてこった!
( ※ただし英語力 by 聞き手)
当然といえば当然な話なわけですが、改めてそれについて考え こうして文字に起こしながら自分でビビりました。
歌(詞)ってすごいね!
これについてはまだまだ考察の余地がありそうな気がする のですが、ちょっと僕のアストラル体が息切れを起こし始めました。つまり文章をぽちぽちするのに疲れた と
慣れないことはするもんじゃないですね。それではまた。ンェ-ッ!
p.s. 大変興味深いアドカレ作ってくれたつぁいにゃおさんありがとう!他の日に登録なさってる皆さまの記事すごすぎるよ!僕そんなの書けない!
まさに十人十色で色んな切り口から語られる、それぞれにとっての「言語」…
とっても面白いから みんなもぜひ読んでみてね!